「東日本大震災」災害者支援カンパのお願い


≪郵産労「救援募金振込先」≫

●中央労金 池袋支店  普通 3712281  郵政産業労働組合本部


●郵便振替口座  00120−5−120809 郵産労本部


●ゆうちょ銀行  10090−2104171  郵政産業労働組合


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郵産労ではポストのある風景写真を募集します!上記アドレスにお送り下さい。 HPや機関紙等で使用させて頂く場合があります
 
更新日2011年7月27日





















震災直後の気仙沼組合員より ← ※詳細はこちら
宮城沖地震は数年のうちに到来すると言われていましたが、これほど想像を絶する巨大地震と巨大津波がくると誰が予想したでしょうか。気仙沼市は、地震による倒壊家屋などは殆んどなく津波による被害でした。また、埋立地に作った油の貯蔵タンクの倒壊による油流出で、湾岸全体が大規模火災になり、市街地は瓦礫の山と化し、所々に大型漁船が打ち上げられています。海に近い所で残っているのは土台だけ、建物は殆んどなく、高台でも波が押し寄せ行方不明の方が何人もいます。リアス式特有の湾の奥の地域は、特に被害が甚大で全滅、非難場所に指定された所も流されました。・・・

リレートークC「がんばろう東北 千葉支部 青柳翔太郎

宮城県第2の都市である石巻市。テレビなどで「GW中に多数のボランティアが訪れ、復興は進んでいる」などと報じていたが、実態は2ヶ月経ってここまで何も進んでいないのかと驚くほどだった。
 市内では公道のがれきの撤去が進み、東京に資本のある大きなお店の復旧は済んで営業も再開した。しかし、被災家屋の後片付けは被災者自身任せで、ほとんどの被災家屋が震災直後から手をつけられないまま2ヶ月以上放置されている。濡れたままの畳一枚動かすにしても、6人がかりでやっと動かせる程の重さで、人手がなければ被災者自身では手に負えない。その中で、災対連のボランティア活動は口コミで次々に広まり、1ヶ月先まで依頼が殺到している。 ボランティア全く足りていない。 

最後に、郵政職場をはじめ自ら被災しながらも仕事を続ける多くの現場労働者には頭があがらない。共にがんばろう。

一方で、本来率先して行うべき国や行政の被災者支援が全く機能していない中、被災者を置き去りにした横暴が目立つ。期間中は、宮城県知事が震災に乗じた「復興策」として養殖の漁業権を企業のビジネスチャンスとして開放する施策を地元漁民の反対の中で行おうとしていることが連日テレビのトップニュースで報じられていた。ボランティア活動と共に国や行政を本来の被災者支援へ動かす運動も必要となるのではないか。

 最後に、郵政職場をはじめ自ら被災しながらも仕事を続ける多くの現場労働者には頭があがらない。共にがんばろう。        






リレートークB「がんばろう東北 郵産労本部 安達稔(神戸中央支部)

4月18日からボランティア休暇をとり、宮城県石巻市の東日本大震災共同支援センターに行きました。ここで、京都、滋賀、東京、埼玉、横浜の人たちと寝食を共にしながら石巻市立女子商業高等学校やデイケアサービスセンターでの瓦礫撤去、泥出し、掃除などの作業に従事しました。

移動する車中から見る被災地はまさに恐ろしい光景でした。すべてが瓦礫と化し、流された多数の自家用車が石ころのようにあちこちで転がっています。巨大な製紙工場の塀も砕かれ、敷地にアパートが流れ着いていました。完全に破壊された特定郵便局も目に入ってきます。小高い場所にある小さな日和山公園から見下ろすと、まるで空襲にあったような、すべてが流された町が広がっています。こんな光景は生まれて初めて目にしました。

女子商業高校では「生徒は無事でしたが家や家族を失っておりこれからが大変です」「学費免除などを考えてほしい」と語ってくれた先生の話が切実でした。デイケアサービスセンターでは、「津波が見えるなか必死に逃げた」「忘れられていくことが一番心配だ」という職員の方の言葉が焼きついています。

いまだに瓦礫の荒野が広がる被災地。いつになると本格的な復興への動きが始まるのでしょうか。一時の支援に終わらせず、被災地すべてが復興するまで全国から支援を継続することが必要だと思います。






リレートークA「がんばろう東北 東京南部支部・宮城忠雄

4月15日宮城県石巻で活動開始。被災家屋の片づけ掃除、支援の行き届かない地域への物資の配布、全国から集まった物資の小分けなど、が主な仕事でしたが、家屋の片づけ、掃除は正直大変でした。

 地震より津波による被害はひどいもので、阪神・中越震災の支援活動の経験者も「これまでとは全く違う」と驚き、床上浸水の家は、重油や製紙工場のパルプなどで黒くて臭い泥が溜まり、ブラシでも簡単にはとれません。床下のヘドロは、スコップで土嚢袋に何回も詰めて取り出します。家具・衣類・布団等は水を吸って重く、畳は一枚運び出すのに4人は必要です。住民だけでは後片付けなどとてもできない、無理だと思いました。

 支援物資の配布は、ハンドマイクで知らせて回ると、家の片付けをしていた被災者が、あちこちから集まり、あっという間に無くなります。「ありがとう」「たすかります」と喜ばれました。

 地震発生後1カ月以上経ち、電気・水道・ガス・道路が整ってきましたがまだまだ不十分です。被害は甚大で、復興には公的支援が絶対に必要です。また、まだまだ多くの人の支援が必要だと感じました。




リレートーク@「がんばろう東北 郵産労本部 齊藤

気仙沼より救援物資送付願いのFAXが届きました。一覧をみると、靴(スニーカー)、電気カミソリ、耳かき、綿棒、折りたたみ傘など思いもつかなかったものでした。

配達は遅延するだろうと思い、今日中に送ってあげたいと早速買い出しに行きました。小物を100円ショップやドラッグストア、電器店で探すも在庫が少なく、なんとか希望数をかき集めました。スニーカーは、通勤経路にある靴屋さんで20足購入。サイズ毎に○足と選んでいたら、店員さんに「失礼ですが何にお使いですか」と聞かれ、支援物資で送りますと伝えたところ店員さんが「自分の実家も気仙沼で、家族は無事でしたが家が流されました」と真剣に一緒に選んでくれました。購入後これは一人で持って帰れないなと思いましたが、後で取りに来ますと伝え、小物を買ってから取りに行きました。2往復して運ぼうと思い、自転車に積んでいたら「これ社長からです。こんなことしかできなくてすみません」と2足カンパしてくれました。そして「持っていきます」と、郵産労本部まで一緒に運んでくれました。道すがら震災の日はスニーカーを購入する人が多く、夜11時まで販売していたことや、明治通りが人の波であふれていたことなど、今回の震災は今までにない被害で何か役に立ちたい、お互いに頑張りましょうと話してきました。荷造りして豊島支店に集荷と配達ができるか確認し、ゆうパックを支店留で送りました。


                                   
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